ところで…

http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html
上の「匿名実名」関連のお話よ。
小倉弁護士さま*1のBlogで少し*2書かれているんですけれども。


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
匿名の陰に隠れていられる方々以外の人がサイバースペース上で情報発信を行っていくというのは、現在の日本ではかなりの覚悟が必要です。
まぁそうなのかしら?
ではそれを「肯定」すると仮定して、じゃぁそれって「匿名の陰に隠れて情報発信を行う」で、別にいいんじゃなくってかしら?
大体「発信された情報を鵜呑みにした結果被害をこうむる」のであれば、それは鵜呑みにした人間の問題よ?


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
また、高度な内容の情報発信を行える方のブログ等において、卑怯系コメンテーターによる「荒らし」を嫌うがあまり、コメント欄を閉じたり、人によってはトラックバックすら受け付けないようにしてしまう例は少なくありません。
なんか、前からこの論調をよく拝見するように思われるんですけれども…なにかトラウマでもあるのかしら?
別に、TBを受け付けなくなったりコメントを受け付けなくなったりしても、それはそれでいいんじゃないかしら?*3
もちろんBlogとしての面白さが半減する可能性はあるんですけれども。それでも、そういった「高度な内容の発信」であれば、それは十分に意味のあることだと思うんですけれども。
コメントでも、小倉様は似たような趣旨の話をなさってますわ。

http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
なお、匿名の卑怯者たちによってブログが潰されたり、コメント欄の閉鎖に追い込まれたり、普通の人たちがコメントを投稿しにくい異様な状況になってしまったりという例は結構あります。
まぁこれに関しては「あるんだろう」と思いますわ。ただ、これがそのまま


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
そういうブログ環境を忌避して、自分の専門領域に関することを公開するためにブログを作成することに及び腰になってしまっている専門家は、私の周りにも沢山います。
につながる理由がよくわかりませんわ?
別に「他人は閲覧するだけでコメントさせない」Blogにすればよろしいんじゃなくってかしら?
それとも「他人のBlogで自分がたたかれる」事すら厭うって事かしら?


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
現状では、ブログ事業者等に発信者情報開示請求を行使してIPアドレスとアクセス日時の開示を求め、やっとのことで開示を受けたら、それをもとにアクセスプロバイダに発信者の氏名住所の開示を求め、それでやっとのことで発信者に対し訴訟を提起することができます。ブログ事業者等やアクセスプロバイダが訴訟の場で精一杯抵抗した場合、発信者に対し訴訟を提起するまでの間に何年もかかってしまいます。その間、弁護士が、事務所を維持するのに最低限必要な程度の時間単価しか請求しなかったとしても、被害者が支払うべき報酬額は相当なレベルに達しますから、相当の資力を有する人以外は、ネット上で匿名の卑怯者に何をされてもされるがまま、ひたすら泣き寝入りを強いられることになります。
…随分とまた「いきなり力技」にくるわねぇ。
どうして「無視する」とか「コメント禁止」とか、そういったもうちょっと「コストのかからない楽な方法」を考えないのかしら?


小倉様はいったいなにを気にされているのかしら?


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
どうしても匿名でなければ言えないことであって匿名を用いてでも言わなければならないこと以外のことを匿名を用いて語ることは恥ずかしいことであるということがサーバースペースの利用者たちの間に定着していくのであれば、今日の日本のネット社会の質的低迷状態を克服する役に立つかもしれません。
ふぅ…あたしとっても不思議なんですけれども。実名ってそんなに素敵なものなのかしら?
なんか拝読していると、実名ってのがものすごく素晴らしいものに思えてきちゃうわ。
実名って、高々「個人認識の記号のひとつで、たまたま法的な立脚点を持っている」に過ぎないものじゃなくってかしら?


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
すなわち、「コミュニティの場を利用して個人間で情報を送受信する場合、利用者の顕名性又は特定性が強く求められる」ということを前提として、「具体的には、公開鍵方式等による個人間の簡便な信頼関係構築の仕組み」の可能性を検証すべきとしています。
そう。「特定性」があれば十分なのよ? それをどうして「実名」にそこまでこだわるのかしら?
で、結局


http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/07/post.html より
問題は、現実社会ではとてもできないようなことを行うために匿名性を維持したいという、いわば「匿名利権」に執着するネットワーカーが少なくない現在の日本で、公開鍵方式であれ何であれ、情報発信者のトレーサビリティを高める仕組みを実際のサービスに組み込むためには、市場原理に委ねることはできず、ある程度法的に強制していかなければいけないということです。
って部分で「甘さ」が見えてくるのよねぇ。
「市場原理とかを無視して法的に縛る」っていう発想がナチュラルに出てくるあたりが、あたし的には危険思想にしか見えないんですけれどもどんなもんなのかしら?
あるいは「法律で駄目っていえばみんな従ってくれるはずだ」っていう「楽園に」住んでいる方の戯言って言ったほうがいいのかしら?


そうねぇ。あたしが見ている限りでは。
議論の発端がまず「自分の意見が否定されていることが非常に気に食わない」ってところからきているようにしか見えないの。
で、特に多くの人が匿名であることから、「自分の意見を正当であるとする為に」「匿名というシステムを攻撃している」感じなのよね。
多分、初めは、実名匿名の話って「数多くある攻撃手段の一つ」に過ぎなかったんだと思うの。ただ、その短絡的な「コストその他を無視して実名を至上のものとする」発想に猛反発を食らったものだから「ムキになって実名を持ち上げる」方向に思想が進んでいるようにしか見えないの。
後はまぁ見る影もなく、無残に「自分の意見を擁護して正当化するために」詭弁を重ねているって感じね。「頭のいいガキの論法」って感じかしら?


まぁ、もはや建設的な議論とかそういうレベルではないって事は確かね。
そうねぇ。あたしが今言えることって、せいぜい二つかしら?
ひとつは「議論をするつもりが在るならもうちょっと粒子の細かい議論をなさってみてはいかがかしら?」って一言。匿名ってのはさらにいくつかのレベルに切り分けることができるわ。で、各レベルの匿名と実名とには、それぞれメリットとデメリットがあるの。まずはその辺の考察からじゃないかしら?
で、もうひとつは「負けることができる強さを持ちなさい」って一言。己(おのれ)ってもんがしっかりしている人間は、必要なときに負けるだけの度量くらい持ち合わせてよ? どんなケースにおいても「意地になって勝ちにかかる」ってのは、つまり自分に自信がないって事なの。
「僕は負けることができる。負けちゃいけないところがわかったから」
この言葉の真意、あなたには理解できてかしら?

*1:でいいのよねぇ? どうもPageにプロフィールとかそういった類がぜんぜんなくてちょっと不安なんですけれども

*2:少し?

*3:あたしが知っている限りでは、大抵のBlogは「コメントを受け付けない機能」も「トラックバックを受け付けない機能」も持っているはずよ?