雑感

詳しく書くつもりはないんだけど(あたし弱者を虐めて喜ぶ趣味はないのよ)。「ケツの穴の小さい男」を見かけたので、色々と雑感。


年齢は色々なんだけれど、30を越えたあたりから増えてくるわね。大抵それなりの社会的地位とか名声とかってのがあって、場合によっては取り巻きがいそうなタイプ。大抵の場合「一見温厚そう」だったり「一見物分りがよさそう」だったりするのね。「心と心の交流」とか「相手の真意を理解するよう勤めたい」とかなんとか。精神論系に立脚した、いかにも耳さわりのよさげな言葉を使うのも特徴だわ。
で。そんな男の何割かが「根性の狭い」連中なのよねぇ。
自分の感覚的に「なんとなく」理解できないものは頭ごなしに「普通ではない」「常識はずれだ」と否定して(もちろんそこに根拠なんて出てこないわ)、自分への否定的、批判的意見は大抵の場合無視。Webで相手の管轄下の掲示板に反対意見でも書き込もうものなら、速やかに削除。なかったことにしてしまうのね。
なにせこういう連中は「自分の感覚」を頼りに生きてるものだから、ある程度以降スキルアップとかレベルアップとかって事から無縁になってしまうの。まぁ当たり前よね。「今までの自分の意見」とは異質なものを排除してしまうって事は、場合によっては「よりすばらしい意見」をも排除してしまうんですもの。伸びるチャンスもなくなっちゃうわよ。
どうしてこう、無駄なプライドで頭を堅くして閉じこもっちゃうのかしら? って考えると…大体見えてくるのよねぇ。
答えは簡単。「守りたいものがあるから」。
自分の世界とか今までの自分とかプライドとか社会的地位とか。そんな「捨てるときに法律で規制が入るくらい」無残なゴミを大切に大切にしているからだわ。くだらないったらありゃしないわ。
そうね。似たような話で「セキュリティホールを指摘された企業の技術者」ってのもあるわね。セキュリティホールを外部から指摘されても「否定する」「逆切れする」、ひどい時には「こっそり修正したうえで逆切れする」など、書いていったらきりがないわ。


「人間は一生成長する」ってのは、少なくとも精神的な部分において然るべきであると思うの。ただ、成長ってのは破壊を孕む概念よ。今までの自分を、築き上げてきたものを「破壊する」だけの度量が必要なの。
つまり破壊的要素を否定するってことはそのまんま「成長を否定している」ことになるのよ。
他人との議論もまた破壊の一環だわ。相手の意見と自分の意見のどちらか、あるいは場合によっては双方をともに破壊していくものなの。その破壊から見出される「何か」を見出すことで、初めて人は成長できるのよ?
別の世界の言葉で言うと「ケセドとゲブラーとの調和」って感じかしら? 興味がある子は調べてみて頂戴。面白い概念よ。


今まで築き上げてきたものを壊すっていうのは、それは「死」につながるイメージなの。まして「長年かけて築き上げてきた」ら、その年月に比例した愛着だってあるわ。
でも、その全てを「必要であれば壊すことを厭わない」勇気があってこそのいい男でいい女だわ。
恐怖に正面から向き合うことが出来る勇気。死を受け入れることを厭わない勇気。蛮勇ではなく「必要に応じて」許容できるのだとしたら、きっとそれこそがあなたを磨く試金石になるんじゃなくってかしら?