抜群の考察力だわね

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
どうしてもこれは取り上げたくて、久しぶりに(多分、このBlogはじめてから2回目よ?)技術関連以外のお話を取り上げさせていただきたく思いますの。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

まぁ………えっと………よくわからないわ。ちょっと記事を読んでみるわね?

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。【文・遠藤和行、写真・米田堅持】

あらあら。どんなお話だったのかしら?

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

素晴らしい見解だわ。あたしの理解のちょっと左斜め下に突き進むような*1
ちなみに、リスナーの一部で

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」

ってお話もすばらしいわねぇ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいる

っていうあたりも、なにか宗教感ってものが根底から疑えてお見事だと思うの。


なんていうのかしら…
例えば。飲食する全てを「自分の力だけで」まかなえるなら、それはそれでありだと思うの。種から自分で蒔いて、家畜も全部自分で世話をして。
ええもちろん、種だって家畜だって、どこからかもらってきちゃいけないわ。購入だってだめよ。だって、購入の対価に使うお金って結局誰かがかかわってるものでしょ? それはすでに自分の力だけではないんですもの。買ってくれる人がいるからお金が手に入るっていう事実を忘れちゃいけないわ。モノを作ったから自動的に売れるってもんじゃないのよ?
で。水だってお天道様だって大地だって「何者か」の力よね? 少なくとも「あなたの力」ではないはずよ。例え得それが「偶然の産物」であったにせよ、それは少なくとも「あなたのもの」ではないんですもの。なら、「自力で」やるためには使っちゃいけないのは自明の理よね?
そうやって「まごうことなく完璧に」自らの力で。本当に食物を入手することが、あなたにはできるのかしら?


宗教感についても疑問だわねぇ。なんていうのかしら…低俗で下劣で白痴への片道切符である、愚かな番組と雑誌しか見ていないんじゃなくってかしら?
本来の宗教ってものをもうちょっとちゃんと見ていれば、新興宗教の愚かな餌にされるのではなく、もうちょっと自分自身の人生ってものを楽しめるものなのよ?


感謝ってのは「お互いがお互いに対してやりあう」ことで、そこに落ち着いた空気が流れてくるの。
もちろん、あたしに貢ぎ尽くす男達には感謝しているわ。でもそれは、彼らがあたしに対して「貢がせてくれる、尽くさせてくれることに感謝している」から、お互いいい関係でいられるのよ?


なんか…こないだも、脳内汚染とかいう、危険人物の危険思想のような本を買ったんですけれども*2
愚かな連中ってのは決してなくならないものなのね。妙なところで感心しちゃいそうよ?


*1: 本来の「右斜め上」は 冨樫義博(c)だわ

*2:近いうちに叩くだけ叩くわよぉ