相変わらず素晴らしいまでの駄文だわね

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/
最近あたしが微妙にウォッチャー化している、愛しの提灯駄文記事製造業者、Paul Thurrottさんの最新の記事よ?
早速いってみましょ。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
2005年にWindowsLinuxはどうなったか

いいタイトルだわ。今回、このタイトルを見た瞬間になにか感じるものがあったのよね。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
先日の朝,私は駅のホームで,到着する電車を表示するためのフラットなスクリーン・モニター上に,見慣れた表示をじっと見つめていた。大きな Windowsのダイアログ・ボックスがスクリーンの中央に居座っていて,何かのシステム・エラーが起きたことを示していたのだ。このディスプレイの後ろにあるPCを,リブートする必要があった。そいつは,存在しないユーザーが現れて[OK]ボタンをクリックするのを待っていたのだ。

あるわねぇ、似たような話があちこちで。あたしは、コンビニのレジのディスプレイがブルーパニックで落ちてらっしゃるところを拝見したことがありますの。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
普及が故に多くの不具合が露見するWindows
こういう情けない出来事に会うと,私は訳知り顔で一人笑いをしてしまう。だが,私はもしIT市場が突然,今と逆になっても事態は少しもよくならないと断言できる。つまり,LinuxMac OS Xが支配的なプラットフォームだとしても,こうした公共の場にあるシステムでダイアログ・ボックスを見たり,クラッシュした表示を目にしたりするだろうと確信している。Windowsは下手に設計されているわけでもないのに,様々な場所で使われているため,あざ笑われる立場に置かれることがよくある。

まぁまぁ。「私はもしIT市場が突然,今と逆になっても事態は少しもよくならないと断言できる」「LinuxMac OS Xが支配的なプラットフォームだとしても −中略− クラッシュした表示を目にしたりするだろうと確信している」。すごいわねぇ。根拠も出さずにここまで言い切れるってのも。
しかも「Windowsは下手に設計されているわけでもないのに」ですって。まぁあの設計の「どこをどうみたら真っ当な設計」にみえるのかしら?*1

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
Microsoftが怪しい技術的な決定をして,バグだらけのソフトを作ってしまう点に関しては,確かにその通りだと思う。同社には,明らかに改善の余地があったはずだ。しかし私は,多くのオープン・ソース・ソフトウエア(OSS)やMac OS Xを応援する人たちが支持する「隣の芝生は青く見える」という法則に賛成しない。例えば,Linuxに切り替えることは,きっと利益よりも多くの問題を生むし,それを解決するには長い時間がかかるだろう。

ここでもまたお得意の決め付けがあるわね。「例えば,Linuxに切り替えることは,きっと利益よりも多くの問題を生むし,それを解決するには長い時間がかかるだろう」ですって。せめて根拠とか技術的考察とか出していただけないものなのかしら?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
いずれにせよOSSの支持者たちは,これまで何年もWindowsに対してLinuxのセキュリティや信頼性,耐久性が優越するという思い込みを押し付けていた。

押し付けてきた、ねぇ…

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
私の直感では,LinuxWindowsのように多くの生産現場にインストールされていたら,それは違った形にせよもっと壊れていたと思う。もちろん欠けているのは,その証拠だ。

…絶句だわね。「私の直感では〜」でしかも「もちろん欠けているのは,その証拠だ」って、あんたきっちり確信犯じゃなくって?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
MicrosoftWindowsLinuxの競争上の優位性を確認するため,次々と調査をしたのに,同社とこうした調査会社の間の馴れ合った関係が常にその結果の信頼性を損なってきた。

そうねぇ。これはそうだと思うの。でも、信頼性を損なったのって「馴れ合った関係性」だけなのかしら? 調査そのものの問題点はどこに霧散しているのかしら?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
架空のeコマースで信頼性を検証
だが,私たちはLinuxWindowsが現実世界の中での違いをどう理解するかという点で1つの転機に達した,と感じている。最近,ある調査が行われ,やはりMicrosoftがこれにかかわっていた。しかし,その調査を実施した米Security Innovationは,その独立性と調査手法に関して,非常に注意を払っている。

まぁまぁ自信たっぷりだわね。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
今回の調査「Reliability: Analyzing Solution Uptime as Business Needs Change」で,WindowsLinuxの実際のシステムにおける信頼性を,抽象的にではなく,連続動作時間のような無意味な指標を使うことなく精査した(該当サイト *2 )。この調査は,架空のeコマース・サイトが1年間に渡り稼働するという状況を想定して調べている。その期間中には,様々な製品のアップデートとともに,OS も新しいバージョンにアップグレードされるし,アプリケーションは新しい機能が追加されアップグレードされるとした。

そうねぇ。「連続動作時間」が無意味なのかどうかってのは議論の余地がたっぷりとありそうなんですけれども。まぁ「実運用にそった」調査ってのは、着眼点はよいと思うわ。*3

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
Microsoftのプラットフォーム戦略担当ディレクターのRyan Gavin氏は,ある説明会で私に「この調査は,現実的な設定でLinuxWindowsを比較した最初のものになった」と語った。さらに「今回の調査は特定の作業負荷のためにLinuxを実装するという話ではない。こうしたシステムが長い期間に渡り管理され,その間に新しい機能が追加されたり,技術的な要素がアップグレードされたりした場合に何が起こるかを調査したものだ。これはユーザーが問題に遭遇するところを示すものだ」と続けた。

まず「現実的な設定」への考察であるとかって部分に突っ込みを入れてみたいんですけれども。まぁ発言自体にさほどの違和感は感じなくってよ?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
その調査の一部では,経験を積んだWindowsLinuxの管理者たちが,自分たちのそれぞれのシステムに合わせてeコマース環境を制御することを許された。Windows環境は「Windows 2000 Server」をベースにし,「Windows Server 2003」にアップグレードしたものだ。また調査期間中に公開されたホットフィックスやセキュリティ・パッチが適用された。
一方,Linux環境は「Novell SuSE Linux Enterprise Server 8」から始め,「同 9」とすべてのアップデートが適用された。双方の管理者のグループは,時がたつのに合わせてシステムを構成し直し,メンテナンスしなければならず,このe コマース・アプリケーションに新しい機能,パーソナライゼーションやダイナミック・サーチ,リスト・ターゲティング――などの追加もしなければならない。そして,メジャーなOSのアップグレードも実施する必要があった。Security Innovationは,それぞれの管理者たちが各タスクをこなすのにどのくらいの時間がかかったかに注目して,彼らの行動を調べた。

そうねぇ。まぁこのあたりは「基本情報として」捉えておきましょ。
さて。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
Linuxパッチの適用時間や数はWindowsの数倍
WindowsシステムはLinuxシステムに大差をつけ信頼性が高かった。平均するとLinuxへパッチを適用するのは,Windowsへの場合と比較して6倍の時間がかかり,Linuxに適用するパッチ数は187個と,Windowsの39個のほぼ5倍に及んだ。最も大事な点は恐らく,Linuxシステムが14回の「重大な中断」に襲われたことで,それらのシステム上でソフトウエアが動作を停止するソフトウエアによる依存性のトラブルに悩まされた。同様の条件下で,Windowsは依存性によるトラブルはなかった。

まぁあたしが知っている現実とは随分と開きのある結果になったわねぇ。
そうねぇ、まず「パッチの数」なんですけれども。少なきゃいいってモンでもなくってよ? まず「各々のパッチの重要度/あてない場合の危険度」の問題が一つ。つぎに「パッチが提供されていない問題点」の分量が一つ。そういった点をお座成りにして数値だけを比較してもなんの意味もないわ?
ついでに。「Linuxシステムが14回の「重大な中断」に襲われたことで,それらのシステム上でソフトウエアが動作を停止するソフトウエアによる依存性のトラブルに悩まされた。」ってあたりで「Linuxのド素人が組んだシステムだ」ってのが大体想像つこうってものだわね。依存関係を極限まで減らすことが「可能」なのがUNIXの特徴の一つで、そのように設計をかけていくことが「腕前」なのよ?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
過去10年間,Linuxを使った私自身の経験では,この手の依存性の問題が数え切れないくらい何度も起きるのに遭遇した。特定のソフトウエア・コンポーネントは特定のバージョンの別のソフトウエア・コンポーネントを必要とするので,アップグレードしなくてはならない。だがそのアップグレードが,アップグレードされたコンポーネントに依存する別のコンポーネントを停止させるのだ。

これはWindowsでこそ顕著な傾向だと思うんですけれどもどうかしら?
そりゃま、もちろん「glibc」を入れ替えたら結構あちこちに…ってのはあると思うんですけれども(でもあたしが記憶している限りではqmailだけだわねぇ。うまくいかなかったのは)。それ以外のライブラリは、きちんと設計していれば依存関係にはさほど困らなくってよ?
或いは言い方を変えてみようかしら? 「依存関係を持たないソフトウェアで構成する」ことが十分に可能なはずよ?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
Gavin氏は,「Linux環境のうち2つでは,管理者たちは(自分たちが必要としたアップデートされたコンポーネントを)つかんでそれを削除して,依存性による大規模な障害に見舞われた。管理者の1人は,すぐにRPMインストーラに影響するダウンロード地獄にはまってブートできないシステムを作ってしまった。別のLinux管理者は自分が作ったカスタム・コードを使ってどうにかうまく働くようにした。つまり彼はその問題に応急策を施したのだ。しかし彼が作業を終えたとき,そのシステムが他の誰にも任せられないと思った。もし彼がバスの事故に遭ったらおしまいだった」と語った。

ふ。なんかいかにも素人くさい発言が重なっているわね。これってどう見ても「設計にミスがある」わ。基礎土台がめちゃくちゃなら、そりゃ上にどんなものを乗っけたってろくなものが出来なくってよ?
あと「別のLinux管理者は自分が作ったカスタム・コードを使ってどうにかうまく働くようにした。つまり彼はその問題に応急策を施したのだ。しかし彼が作業を終えたとき,そのシステムが他の誰にも任せられないと思った。」に関しては。まずドキュメントって単語とかをきちんと理解されることを心からお勧めいたしますわ。これって基礎でしてよ?
それとも「同じような状況で、最悪カスタムコードを使ってでも動かさなければいけない状況の場合。Windowsって"指をくわえてみている"以外になにかできることがあってかしら?」って質問を差し上げたほうが妥当なのかしら?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
もう1つ関係のある情報は,パッチとシステムのアップデートを各環境に適用するやり方である。Windows環境では,各管理者が同じパスに従ってアップデートをインストールする。しかしLinuxの場合,各管理者は全く違ったアプローチをとる。「Linuxから見ると,何かをやるには100万通りの方法がある。しかし間違った方法も50万通りあるのだ。(Linuxの)アーキテクチャのもろさから限界を感じ始め,コンポーネント化の利益は,一方で複雑さや運用性やマーケティングに時間がかかるなどの不利益もあることを感じ始めるのだ」」と同氏は指摘した。

これもまた見当違いというか考察の甘さ温さが前面に押し出たご意見だわねぇ。環境や状況ごとにアプローチが異なるのはむしろ当然で、それは「万能薬がない」からこその「その状況下におけるベター」の選択が可能であるということなの。そうしてそういった差異については「引継ぎとドキュメント」で十分に継承が可能なものだわ。
で。結局こういう愚かな指摘をしているRyan Gavin ってやからの肩書きが「Microsoftのプラットフォーム戦略担当ディレクター」ってあたりに全ての馬脚の根幹があるようにしか見えないのよねぇ。
さらに

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
想像の通りかもしれないが,Novellは常にLinux市場のメジャー・プレーヤでありたいと思っているので,こうした断定を快く思っていない。ブログの中で,NovellのKevan Barney広報担当上級マネージャは,Microsoftが市場を混乱させようとしていると書いていた。しかし,私は彼が書いた2つの基本的なことがちょっと疑わしいと思う。

っていう話になってくるんですけれども。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
第1に,彼はLinuxに相互運用性の問題があることを否定し,それからWindowsのセキュリティ問題は何にしても長い時間と財務上の問題を引き起こすだろうと示唆した。

そのまんまだわねぇ。相互運用性の問題は「スキルの低さ」の問題でしょうし。Windowsのセキュリティの多くが「仕様」の名の元に抹消され、放置プレイの極致のような状態に陥ってるのはすでに周知の事実だと思うんですけれども?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
第2に,彼は議論の筋を変えるためにOSSの支持者を引き合いに出すという古い手を使った。彼はLinuxの一ディストリビューションであるSuSEは, WindowsのようなOSとはきちんと比較できないと文句をつけた。なぜなら,SuSEやその他のLinuxディストリビューションは,たくさんのソフトウエア・パッケージとサービスを含んでいるからだ,と。

これはまぁ…微妙だわね。ただ、実際問題、多くのディストリビューションは確かに「Linux上で用いられるアプリケーションを多々」含んでいるものではあると思うの。…だからあたしはSlackwareが(以下略

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
ここでポイントは,Linuxディストリビューションが必要とするパッチの数は不自然に多いということだ。もし彼らの言うことが本当なら,Novellや他のLinuxベンダーはもっと小さくまとまったディストリビューションを出荷できたはずだ。そうしていない以上,私たちはユーザーが実際に購入できる Linuxディストリビューションとしか,Windowsを比較できない。

まぁ珍しくさほど見当違いではない一文だわ。ただ「必要に応じていくらでもシステムを絞れる」のはLinux…というかUNIX系の特徴よ?
確かに、あたしも「Slackwareとかあれくらいカリカリっとしたディストリビューションを商用サポートしている」会社が欲しいわねぇ、とはしみじみ思うんですけれども。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
Barney氏が触れていないことは,調査で分かった根本的な真実であり,それはかなり厳然たるものだと私は思う。現実世界でWindowsシステムと比較すると,Linuxディストリビューションは管理が複雑で,そのために信頼性が劣る可能性があるということだ。

あらあら。Windowsを「きちんと管理」することが、じゃぁそんなに簡単なのかしら?

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Windows/20051214/226212/ より
これはLinuxが失敗作だということではない。だが,Linuxコミュニティが気取った態度を何年も続けた後なのに,重大な懸念が提起された時に彼らが提供できる最良のものがそんなものだということに私は驚いている。

えっと…もうひとつ「提起された重要な懸念」も「そんなものだ」も、文中から明確になってこないのよね。


そうねぇ。正直なところ。Windowsって「MSが想定した道を歩く」限りにおいては、まぁ実際比較的使いやすいと思うの。それと比較して、Linuxとかってのは「どこを歩いても道路がもう一つ舗装されていない」わ。
ただ、それをぎゃくにすると。「MSが想定した以外の道を歩こう」とすると、Windowsってのはとたんに「半端じゃなく扱いにくいモノ」になるの。「MS製品以外との混在」も、「互換性が確認しきれないからしたくないバージョンアップ」も、何もかも全てMS様のお気に召す道に修正しなくてはならないわ? もちろんMS様が「これは仕様です」といえば飲み込まざるを得ないの。たとえそれば明らかにセキュリティホールであるとしても。或いは「お隣のデータを破損させるDBエンジン」であっても。
一方でLinuxってのは初めっから茨な分、かなり奇天烈なことをやろうとしても「まぁ同じくらいの茨」でどうにかなっちゃうのよね。だから「ものすごく危険なセキュリティホールがあるから取り合えず自前のパッチつくって一時的に食い止めて公式のパッチが出るのを待つ」とかってのも、技術力さえあれば可能なの。
このあたりが、MSとLinuxの最大の違いなんじゃなくってかしら?


言いなりってのは随分と楽よね。だって何も考えなくてすむんですもの。でも…それって男として、人としてどうなのかしら?
少なくともあたしは、そんな連中に欠片ほどの魅力も感じなくってよ?


*1:基準点の違いって話もあるんですけれどもね。あたしは「利便性を基準にセキュリティを切り捨てる」設計がよいとは到底思えなくってよ?

*2: http://download.microsoft.com/download/4/a/5/4a528af3-a63b-422b-a6d2-6a7b2b7ab7ea/Reliability_Analysis_Security_Innovation.pdf

*3:それにしても、その調査結果のPDFダウンロード先もM$ドメイン配下なのよねぇ…