もう一つ突っ込みがあまいのよねぇ

http://deztec.jp/design/04/wedding03.shtml
せっかくトラックバックいただいたので、ご返信って感じかしら? 徳保隆夫さんって方のWeb Pageからよ。
ちなみに上のURLの真ん中のほうの「追補(2004-12-09)」に載っているから、見に行く人は気をつけて頂戴ね。
さて。あたし的に興味がある部分を少しだけ切り込んでみるわ。


http://deztec.jp/design/04/wedding03.shtml より
企業は営利組織だから、1円だって無駄にするまいとして、血のにじむような努力をしています。
そうねぇ。その側面を否定はしないわ。でも一つ聞きたいんですけれども。そういった効率性の高さって「どこまで真摯に」考えているものなのかしら?
そしてもう一つ。「無駄」ってなにかしら? 何を持って有益として、何を持って無駄とするかの基準ってすごく難しいのよね?


http://deztec.jp/design/04/wedding03.shtml より
企業にとっても訴訟は最終手段であり、決して望むところではありません。裁判を起こすのは、相当の「被害」がある場合に限られます。
これも否定はしないわ。特に企業においては。
でも、最終手段を「どのタイミングで使うか」っていうさじ加減もばらばらなら、何を持って「相当の被害」とするかってのも議論に値すると思うの。
そうしてなによりも「いざとなれば裁判に持ち込むよ」っていう発言が、それ自体一つの切り札的効果をもっていると思わなくってかしら?
それとも「もうちょっと手前の、圧力という名の手段各種」について考察したほうがよろしいかしら?
「全力で戦えるけどたかが知れている」相手と「全力で戦うには相応のコストがかかるけどいざとなれば凶悪な力を持つ」相手とは、そもそも立ち位置が全然違うものなのよ?
そうねぇ。個人の喧嘩(タイマン)で、片方が10人ほどの手勢を連れてきて「俺が負けてもこいつらには手出ししないように言い含めてある」って言われて、だれが信用するかしら?
もちろん

http://deztec.jp/design/04/wedding03.shtml より
ノーリスクで攻撃できるとき、個人がどこまで抑制を失っていくか
ってのは別問題として存在するわ。そうして、別にあたしはそれを賛成なんかしないし。
でも、個人の暴走以上に企業の暴走って怖いものよ?


http://deztec.jp/design/04/wedding03.shtml より
"法律は「人間が作った穴だらけで悪意ある人間に都合のよい」ものでしかない"という Lucrezia Borgia さんは、「己の信じる正義のためなら手段を選ばない、私刑でも何でもやる」という(そう読める)価値観を示されています。
これよこれ。これに興味があったの。どのへんの文章から「己の信じる正義のためなら手段を選ばない、私刑でも何でもやる」って読み取れたのかしら?
そもそもあたしは正義なんて曖昧で物騒な概念、はなっから信じちゃいないわ? それにあたしはちゃんと「自分の価値基準において」手段を選んでいるわ。ただその基準が時々人と違うだけよ?

あたしへの批判的文章を書いていただけるのはとてもうれしいんですけれども。どうせなら、もう少し、あたしが身動き取れないくらい鋭い論旨で滅多打ちにしていただけないかしら?
こんなゆるくてぬるい発言じゃ、かえってフラストレーションが溜まっちゃうわ?