育ちのよさってのも考え物なのかしら?

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/6d74b4c5a7c0f305ce5fa7fa46249a5d
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8a7b6418bec6131b3507873810de85b8
小倉秀夫さんっていう方のBlogからよ。一弁護士のIT関連への見解、って感じでいいのかしら?

なんていうのかしら…読んだときに一番初めに感じたのは「違和感に近い拒絶感」って感じだったわ。
こういう感覚をあたしが持つのは比較的珍しいの。だから、ちょっと興味を持って拝読させていただいたわ。
とりあえず、読んだとおりに感想を追っかけてみることにするわ。


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/6d74b4c5a7c0f305ce5fa7fa46249a5d より
はてな住所登録問題及びLivedoorの削除問題や規約改正問題をみていると、つくづく、
自分の発言に対して一切責任をとる気がないくせに、企業に対しては自分の発言を削除するな、変更するなと声高に発言し、要求をのまなければ他の業者のところに行くぞと脅す(あるいは、実際に他の事業者に切り替える)人が結構いるのだなあ
と思いました。
なんていうのかしら…初手から勘違いしてないかしら? そもそも、企業==個人っていう連想がものすごくおかしいと思うの。
そうねぇ。記述を逆にして、簡単に書き換えてみるわ。
「企業自身の発言に対して一切責任をとる気がないくせに、個人に対しては企業の発言を否定するな、変更するなと声高に発言する企業が結構いる」
そうねぇ。いっぱいいると思うわ。特に昔なんてこういう事例ってたくさんあったんじゃないかしら?
そもそも、企業ってのは言ってみれば「群れ」よ。企業が責任を取るってのと個人が責任を取るってのは、色々な部分で負担も内容も異なるわ。
そういったことをまったく考慮せずに同系列に語っているあたりがすでに違和感の塊りなのよね。


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/6d74b4c5a7c0f305ce5fa7fa46249a5d より
私は、弁護士の中ではネット関係に詳しいということになっているので、ネット上で根拠のない誹謗中傷をされたとか、全裸の写真を掲載されてしまったとかという方から相談を受けることもあるわけですが、
-中略-
そういう「被害者」の方々に対して、「匿名による表現の自由を守るために、被害を受けても泣き寝入りしなさい」と諭すことは私にはできませんし、侵害者が飽きてやめるまでいたちごっこを続けましょうということも、本人がよくよく資力があるか、または、よくよく資力のあるスポンサーがいない限り難しいわけで(しかも、関与者と発信者との間で話し合いが付くまで、1週間なり2週間なり、問題のコンテンツが削除もされずに晒されっぱなしになるだなんて!!)、そうすると、関与者に対して発信者情報を開示してもらって直接侵害者を叩くか、違法な発信者をかばう関与者を叩くという方法をとらざるを得ないわけです。
あら。その辺は別にいいんじゃないかしら? この部分で「それでも自由を」なんてのたまうバカガキは、自由って単語に付きまとうものの重さをたっぷりと教えて差し上げて、って感じだわ。

でも。この文章ってそもそも


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/6d74b4c5a7c0f305ce5fa7fa46249a5d より
はてな住所登録問題及びLivedoorの削除問題や規約改正問題をみている
ことで感じている内容で、しかもそのタイトルたるや


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/6d74b4c5a7c0f305ce5fa7fa46249a5d より
自由に、安全に闇討ちする権利
という、とてもセンセーショナルなものなのよね。こうなってくると、あたしの見る目ってのも変わってくるわ。
ええ。もちろん、小倉さんのおっしゃっているような状況で、業者が個人情報を押さえていた方がより確実な対応ができることは理解できるわ。個人情報を押さえていれば「"匿名性による自由"を盾に取った暴力」が行われる可能性も下がると思うの。
でも、それってあまりにも一方向しか見てないんじゃないかしら?
はてなの問題もLivedoorの問題も、上記「以外」の危惧を感じてる人が少なからずいたと思うわ?
そういう部分への考察抜きにして、とぼけた感想とセンセーショナルなタイトルで書きなぐってる文章に、そうして、それを書いている人の中身に、あたしは大きな疑問を感じてしまうの。

ちなみに、本当に安全に闇討ちするなら「三流のマスコミ」にでも就職したほうがより効果的よ?
だって、ネットで個人サイトなんていう不確かなものじゃなくて「書店で売られている本」や「名前の知られている会社のサイト」に散々めちゃくちゃな事書きなぐることができて、責任は会社が適当にあしらってくれるんですもの。
あら? なにか雑音が聞こえるわ?
ねぇねぇ、そこのぼうや? 少なくとも一部のマスコミが、どれだけ「いいかげんで杜撰で煽るだけ煽った、あっちに寄ったりこっちに寄ったりした、不確かで責任感のない記事を書いているか」くらいはご存知よね?

続いてのBlogにいってみるわ。


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8a7b6418bec6131b3507873810de85b8 より
InternetMagazineで連載されている真紀奈さんからのインタビューを受けてきました。今回は、白田先生も一緒でした。
その中で、今回のはてな騒動に関連して、一部反対者の要求は、資本主義社会ではありえないという話をしていたのですが・・・。
あら?どうして「ありえない」のかしら?
例えば、最終的にはてなが「反対者の要求を飲んだ」って事は、それでも経営が成り立つ、或いは無視したら成り立たない、って判断した結果なんじゃないかしら?
本当に「ありえない要求」なら、経営者って確実に突っぱねるものよ? まぁ「意志力が弱くて自滅」する人もいるんですけれども。
それとも「"ありえない"は"ありえる"と同意語でしかない」っていう言葉をプレゼントして差し上げようかしら?
でも、自分のゆりかごの中の常識だけを見ているようなネンネちゃんにはちょっと難しい言葉かしら?


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8a7b6418bec6131b3507873810de85b8 より
とはいえ「匿名発言の自由は何にも増して重要だから、匿名者に権利侵害された被害者は泣き寝入りしましょう」なんてコンセンサスが社会的に生まれるわけはないので
そうねぇ。普通考えにくいわ。あたしなら「あたしの権利を侵害した連中の権利を侵害して」差し上げてもよろしくってよ?
もちろん「生きる権利」ってのも連中の権利の一つよね? 色々な意味で。
でも、


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8a7b6418bec6131b3507873810de85b8 より
BLOG事業者団体で共同出資した利用者情報管理会社が発行するID、パスワードを使用する等、トレーサビリティを確保するための仕組みを早急に作り上げないと、何かの事件をきっかけに、国家が利用者情報を管理するようになっていく可能性が高くなってきましたね。
この辺の理論の飛躍が不思議だわ。


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8a7b6418bec6131b3507873810de85b8 より
市場原理のもとでは、民間事業者は利用者情報を管理することができず、権利侵害情報が流布されても発信者情報を正しく被害者に開示することができないということになるわけですから、市場の失敗を修正するためには国家の出番ということにならざるを得なくなるわけです。
この辺からも感じられるんですけれども。
まさか、この人って「国家は正義の味方」とかっていう甘くてヌルい幻想でもお持ちなのかしら?
そもそも「市場の失敗を修正するためには国家の出番」っていう発想自体が、あたしにとってはとても奇異に感じてならないわ?
あ、あらお兄様。ええ、もちろん、あたくしはお兄様とお兄様のための国家に忠誠を誓っておりますわ、ええ、心の底から本当ですわ……........


http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8a7b6418bec6131b3507873810de85b8 より
今回住民登録に反対した人たちは、それがインターネット社会の国家による管理に繋がる重要な一歩であることをどこまで認識していたのでしょうね。
これって結局「そもそもしっかりした管理がなされている綺麗な世界」ってのが前提にある発想よね?
そりゃもちろん、あたしだってそんな世界に憧れがなくもないわ?
でも、現実的にそんなに「清く正しく美しい」世界なんてあると、本当に思っているのかしら?


そうねぇ。全体を通して思うのって「弁護士っていう連中の育ちのよさがモロに出てる」って感じなのかしら?
もちろん、奇麗事を言ってくれる人って時には便利だわ。でも、時には悪人よりも邪魔なものなのよ?

ある人に言った言葉をふっと今思い出したわ。
「人間は天使にも悪魔にもなれないの。あたしたちは白も黒も持っているのよ。それがあたしたち人間の、天使や悪魔より劣っている部分であり、同時に勝っている部分なの」
別の、ある小説にはこんなことが書いてあったわ。
「悪人を知ってるから、悪人を裁けるんだ」

人間って、綺麗なところも汚いところもどっちもあると思うの。で、綺麗なところが大切なのと同じくらい、汚くて猥雑で混沌としたモノってのも必要なのよ?
小倉さんは、人間の汚いところを正視した上で受け入れて考察することができるのかしら?
あたしは、それができてこその「弁護士」だと思っているわ。